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うぶすな日誌

うぶすな日誌

 | 日常お気楽日記

早春の輝き

皆さん、こんばんは。
寒くて、寒くて、春が待ち遠しい毎日です。

 

20160209

 

早春の味わいで、せめてもの春の息吹を感じたく、
「セリ」の話しでもしようかと。
青春の1ページのごとく爽やかでほろ苦く、鮮烈なかほりと歯ごたえがたまらぬ「セリ」。
セリのおひたしは、丼いっぱいいけるほどの大好物のひとつです。

スーパーなどで売られているセリは、個人的にどうも物足りません。
クセのない食べやすさは、立派な企業努力の賜物なのでしょう。
ですが、クセも香りも少ないので、
洋画でよくある「かかってこいよ」シーンみたいに、
こちらは手のひらでクイクイッとやって待っているのに、
何だか肩すかしをくらったかのようなのです。
もっとこう、挑んでほしいのです、セリよ。

このセリは山の小川で自生していたものなので、
両頬ビンタされたかのようなパンチがあり本当に美味でした。

自生しているものの中には、セリに似た毒セリがあるようなので、
皆さん採取の際には気をつけて春を味わって下さい。

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 | 日常お気楽日記

何か考えてる後ろ姿

皆さん、こんばんは。
余りの寒さに頭がまわりません。正確には、いつもまわりません。
先日、いつもの場所にある電卓が見つからないので、
酉子に「電卓知らん?」と聞いたところ、
なんと私の目の前に「どうぞ」といった感じで、電卓がまんまとありました。

どこを見て必死に青い鳥を探していたのか。
まるで、「わいの眼鏡どこや」ではないか。
思い込みっておそろしいですわね。
年齢を重ねると、視力の上での視野も、感じる上での視野も狭くなりますわね。
魚眼で生きなければ。

20160208

ああだこうだと考えるのは人間ですが、
獣の何か考えてる風な後ろ姿が好きです。

頭の丸み、耳毛のシルエット、一生懸命生きてる感じが健気なお背中。
前から見た時とは違う、背中が語る何かがあります。
まるでジュリーの歌のようであります。
何か考えてる風な獣の背中は、哲学的でさえあります。
こういう時は声をかけるのも何だか悪い気がして、背後からギロッと凝視しています。

ただ何かを見てるだけなのか。
ああ、腹が減ったと思っているだけなのか。
愛しいあの娘にゾッコンラブな思いを抱いているのか。
もしかしたら何も考えてないかもしれません。
私の飼い犬などは「きゃつめ、どうしてくれようか」と私への謀反を企てている恐れもあります。

獣の何か考えてる風背中フェチなのでした。

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 | うぶすな作業場から

賑やかな神様

皆さん、こんばんは。

毎年物だらけの要塞のような作業場。
今年の作業場は、大変きれいに快適で広くなりました。
なぜならば、平成の大掃除を酉子が執り行ったゆえ。
脚立をのぼって上へ下へ、右へ左へ斜めへ。
埃まみれになって頑張る姿は美しかったです。
お疲れ様!酉子!

私ですか?
動かず騒がず、その様子を年配者らしく、あたたかい目で応援した次第です。

 

20160205

物だらけで賑やかなのは午夫の部屋の神棚も。
お札に、民芸品に、木のおもちゃ。
草間彌生さんのカボチャまで。

大変賑やかな神様が日々見守ってくれています。

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 | 暦日記

今日は立春

皆さん、こんばんは。
今日が二十四節気で言う、新しい一年のはじまり「立春」。
その字のとおり、春が動き始める季節です。
新しい一年をむかえるために、
立春前日の節分には豆をまいて厄を祓い、
立春には「立春大吉」と書かれたお札を貼ります。

 
20160204

 

半分に折ると左右対称になる「立春大吉」の文字。
鬼がたとえ家に入ってしまっても、
裏から見ると同じ文字のため、
この家にはまだ入ってなかったと鬼に勘違いさせ、外に逆戻りさせる為のものだとか。
なるほど、なるほど、知りませんでした。

早春のこの季節、可憐に咲くのは梅の花。
今年は暖冬とあって、すでに梅が開花していました。
このぶんだと、梅の見頃は早まりそうです。

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 | 暦日記

節分

皆さん、こんばんは。
今日は立春の前日「節分」。
一年のはじまりである立春に、疫を祓う儀式です。

私も本日、節分の豆まきに参加してきました。
なぜ豆なのかというと、「まめに働く」という語呂の良さや、
疫病をもたらす鬼の目に、豆を投げて退治したという伝説から、
「魔目」にちなんで、豆が用いられる事になったとか。

 

20160203

青空に舞う、たくさんの福豆。
大人も子ども喜んで、豆を一斉に拾うという光景は、
「ザ・まつり」という風情で本当に楽しいもの。
「鬼は外〜!福は内〜!」の大きなかけ声で福豆を盛大にばらまくなんて、
いかにも景気がよくてワクワクします。

幼き頃はテレビを見て「志村うしろ、うしろ!」と大きな声で叫んでましたが、
大人になると、大きな声を出したり、思いっきり何かを投げたり、我を忘れて一目散に拾ったりなんて、
なかなか出来ない体験なのだという事にハタと気づきました。
何と言うか、ヒトという生き物の原始的な体験と言いますか。
シンプルに景気よく投げる、拾う、嬉しいという。
狩猟本能が刺激されるのでしょうかね。

年の数よりひとつ多く豆を食べるといいという話しがありますが、
年々すごい数になっていくので、適度な数でやめておきます。
大人の階段のぼりすぎるのも何だなという。

20160203_2

ちなみに2年前の節分風景。午夫がどこかにいます。
皆さんも、福の多い実りある一年になりますように。

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